聖書;マタイの福音書5:13 日時;2009.11.15
イエス様は山上の説教でクリスチャンの八つの品性を教えました。イエス様はそこで終らせたのではなく、13節から16節で、クリスチャンとしての使命と責任について述べております。今日は13節「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」というみことばを通して「地の塩」の使命、すなわちクリスチャンの使命について学びましょう。
T。塩は防腐剤です。
人々は何のために生きるでしょうか。一言で幸せのためです。2000年前、イエス様が山上の説教を語った当時、ユダヤ人の宗教指導者であるサドカイ人たちは、物事を理性的に判断し、計算的に考える合理主義者たちでした。彼らは、霊的な世界とイエス様の復活を否認し、既存勢力と妥協して権力を手に入れ、この世での幸いな生活に満足していたのです。イエス様は2000年前も、2000年後の今も、腐敗したこの世に対して「あなたがたは、地の塩です。」とクリスチャンの使命を命じています。塩は防腐剤の役割をします。神様は創世記6章5節で「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。」と語り、人間の心はいつも悪いことに傾いていて、その群れである社会は腐敗していることを示しています。社会的には金銭第一主義が、宗教的には神のみことばより人間の理性や自由意志に合わせる自由主義の神学が盛んになっています。社会も宗教も人々の心も変質し、腐敗しています。
しかし、イエス様は腐敗したこの世を諦めたのではなく地の塩であるクリスチャンたちを通して希望を抱いています。クリスチャンは社会と人々の心の腐敗を防ぐ防腐剤の使命を果たさなければならない、というイエス様からの命令を心に刻みましょう。
U。塩は味を出します。
塩の主な働きは何でしょうか。それは味を出すことです。どんな良質な材料で料理を作ったとしても塩がなければその料理を美味しく食べることはできません。塩は魚や肉、野菜に塩けを出すことによって、役割を果たし、塩の価値が認められます。容器の中にあるだけでは塩はただ形だけの塩です。塩として味を出す使命を果たす事ができません。まず、容器の外へ出て、料理にふりかかることで使命を果たし、人々に料理を美味しく提供することができるのです。
今日、容器の外に出ないで、容器の中にいるクリスチャンが大勢います。地の塩でなく、教会の塩であるクリスチャンが大勢いるということです。主の日(日曜日)になると教会に来て、礼拝を捧げ、交わり、奉仕します。未信者の家族や隣人の救いのために祈りの時間も持ちます。これらのクリスチャンの問題とは何でしょうか。彼らは外に出る塩でなく、容器の中の塩だということです。教会の中だけのクリスチャンです。教会の外に出て、クリスチャンの味を出さないことが問題なのです。クリスチャンはこの世で味を出す人です。
では、クリスチャンが地の塩である理由は何でしょうか。イエス・キリストご自身が地の塩だからです。私たちがイエス様に結ばれ(ヨハネ15:5)、キリストの命が私たちを通してこの世に流れて行くからです。私たちは地に味を出す塩です。イエス様の味は、いのちの味、愛の味、平安と慰めと喜びの味です。
V。味を失う塩にならないためには。
クリスチャンがこの世で塩の味を出すためには、イエス様が教える八つの品性を持たなければなりません。イエス様の味を失わないためにはどうしたら良いでしょうか。それは、イエス様の似姿で生きることです。イエス様が生きた道を歩むことです。
まず、純潔を保ちます。塩の色は白です。白は純潔を表します。イエス様は罪を知らない純潔なお方です。聖霊様が宿っておられる聖徒は、イエス様の純潔を守り、腐敗を妨がなければなりません。
次に、協力と調和を保ちます。聖書でイエス様は「塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。」(マルコ9:50)と語っております。塩は水に入ると溶け、自分の存在を無くし、代わりに味を出します。こうして防腐剤の役割を果たします。クリスチャンが教会の中でも社会でも和解を維持するためには、相手の存在を認め、共に協力し、調和を保たなければなりません。
三番目に、犠牲を厭わないことです。イエス様の十字架の死は、人類を愛する最高の犠牲の模範です。イエス様は理論的にではなく、実際、自ら十字架の死という犠牲を現わされました。犠牲なしに愛を現わすことはできません。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネ12:24)。塩は自分を犠牲にして、腐敗を防ぎ、味を出します。私の時間、体、健康、物質の犠牲があるところに、キリストの味が出ます。
最後に、静かに働くことです。塩は鮮やかな色ではありません。バラのような香りも放ちません。美しい音も出しません。ただ、水の中で黙々と自分の存在を無くします。人々にありがとうと感謝されなくても、陰で塩の味を出します。謙遜なクリスチャンは内密に働き、キリストの味を出すのです。
「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです」(13節)。地の塩として、この世にイエス・キリストの味を出すクリスチャンの使命を果たしましょう。