椎名町教会

1月13日メッセージ


『真実な生活』

聖書;マタイの福音書5:33−37 日時;2010.1.17 

【序論】

【本論】クリスチャンの真実な生活は何を通して現われますか。

T。真実な心です(33ー34)。

ユダヤの指導者たちは神の律法のみことばの精神や内容より、自分たちの伝統や規律を主に考えたのです。それで自分たちの観点で、神のみことばを歪曲し、誤って解釈し、純粋な民に教え込んでいたのです。このような彼らの教えに対して、イエス様は本文33節、34節で「さらにまた、昔の人々に、『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ。』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです」と、パリサイ人たちやサトカイ人たちの偽りの誓いについて警告しています。

ユダヤ人たちは何でも誓いをします。また、自分の都合や状況に合わせて、不利になり、利益がでないと、何の罪意識もなしで、誓ったものをすぐ取り消しします。ただし、神の御名によって誓ったものだけは破ると罪だと認識したのです。それを逃れるために彼らが考えたのが、天や地やエルサレム神殿をさして誓いをしったのです。しかし、イエス様は、ユダヤの指導者たちの偽りの誓いに対して「天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです」と言及し、神の御前で真実な生活を行なうよう教えています。

パリサイ人たちやサトカイ人たちとイエス様との根本的な生き方の違いは、彼らは表面的な行いを主に考えましたが、イエス様は内面的な心を主にされました。イエス様は山上の説教の始まりである5章3節から11節まで、神の民の八つの幸せを述べ、その幸せが生じる源は心であると教えています。

なぜ、イエス様はクリスチャンの心を重要に思いますか。それは使徒パウロが語ったように「あなたがたのうちに住まわれる、神から受けた聖霊の宮であるからです」(コリント人への手紙6:19)、聖霊が心のうちに住まわれ、私たちのすべての心の考えや知り、生活を導いてくださるからです。イエス様は「口から出るものは、心から出てきます。それは人を汚します。悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、ののしりは心から出て来るからです」(マタイの福音書15:18-19)と語り、真実な心をもってクリスチャンらしく生きることを注意させてくださるのです。真実な信仰者と偽りの信仰者は、どんあ心で礼拝や奉仕をするか、また、日常生活の中で彼の会話を聞くと、すぐわかります。

神様は真実なお方です。人間も動物も自然も、神様は真心をもってお造りになりました。そして、それを見て良しとされたのです。動物も自然も神様の御心と摂理に従順に従います。春夏秋冬も神様の計画に従い、芽生え、実ります。彼らは神様の御前で偽りをしません。しかし、神に似姿に造られた人間には知恵があります。この知恵は、真実な生活を行ない、神のみことばを理解し、悟り、生活を通して証しするための知恵です。神の御名をほめたたえるための知恵です。三位一体の神様を正しく知り、真の信仰者として生きるために知恵です。しかし、ユダヤ人たちは、神様から選民として選ばれましたが、自分たちの便利と利益のために偽りの誓いをし、勝手に破ります。

私たちはどうですか。パリサイ人やサトカイ人たちのように、神の名前で誓ってないから、何でも誓ったことを取り消したことはありませんか。自分に有利になると誓ったことを果たしますが、自分に少しでも不利になると、適当に言い訳をつけて誓ったことを破っていませんか。私たちの心の内におられる神様は皆さんと私の心のすべてのことをわかっております。小さな事でも真実な心を持って、真実な生活を行ない、神の民として、神の御名を汚さないように真の信仰者として歩み続けましょう。

U。真実な行動です(35節)。

人間は社会的な動物です。クリスチャンは罪と咎と不正が満ち溢れている社会の中で生きています。教会はサタンが支配する暗闇の社会の中でキリストの光を照らすものです。ヨハネの福音書1章1節以下で、神のことばとして来られたイエス・キリストは人の光です。光にはいのちがあります。教会にはキリストのいのちがあります。神様がキリストの体としてこの地域に椎名町教会を建て上げ、私たちを椎名町教会の会員として送ってくださいました。それは、私たちの真実な行動を通して、家庭の家族に、職場の同僚に、学校の生徒たちに、地域の隣り人に、キリストの光を照らせ、福音を伝え、神の御国を広げるためです。

イエス様は35節で言われました。「地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。」と。パリサイ人やサトカイ人たちの偽善な生活への警告です。教会はキリストの聖なるからだです。

なぜ、私たちはこの世と教会に対して誓ってはなりませんか。この世は神様が造られました。今も神様の計画と御手の中で、動いています。勿論、アダムとエバの罪により、サタンの支配の中にありますが、神様はこの世を愛し、一人一人日本の国民1億2千万の救いを待ち続けております。シャマニズムや祖先崇拝や様々な新興宗教により、神様から遠く離れていますが、神様は彼らがイエスを信じ、救われ、教会で信仰生活をするのを望んでいます。教会はキリストの聖なるからだです。

クリスチャンは愛する日本の国民の前でキリストの証人です。キリストの証人は、キリストと共に生活する者です。証人は裁判官や人々の前で見たこと、体験した事、聞いたことをそのまま伝える義務があります。ですから、クリスチャンはこの世の人々に真実な行動を通してイエス様を証ししなければなりません。この世の人々は偽りを誓って、自分の利益を手に入れますが、クリスチャンは真実な行動を通してキリストの証人となります。

この社会は契約と誓約によって成り立てています。それは互いの信頼の印です。書類の契約にはハンコが押します。遺言書の遺言を全部書いた後は、これは必ず守ります、という誓約としてハンコを押します。イエス様は言われました。「あなたがたは、地の塩です」(マタイの福音書5:13)と。塩は水の中で溶けることによって味を出します。私に損害があっても、不利益が生じてもクリスチャンの真実な行動を通して、不正な社会が正しく変わります。また、イエス様は「あなたがたは、世界の光です」(マタイの福音書5:13)と命じています。光にはいのちを生じる力があります。一人のクリスチャンの真実な行動が家族や隣人に、キリストの光を照らし、彼らを救いの道に導かれます。

もう一度、今、社会の中で生活している自分の姿を振りかえて見ませんか。この地域にある椎名町教会の過去の歩みを振りかえて見ましょう。現在の私たちの働きを点検しましょう。そして椎名町教会の未来を描いて見ましょう。「あなたの隣人のあなた自身のように愛せよ」(マタイの福音書22:39)というイエス様の御声が聞えませんか。隣人の苦しみと痛みを私のものにしましょう。今、隣人が求めるのは愛です。慰めです。彼らを愛し、今、私はどんな行動をしていますか。

V。真実な言葉です。

イエス様は言われました。「だから、あなたがたは、『はい。』は『はい。』、『いいえ。』は『いいえ。』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです」(37節)と。律法が置かれている場所は心です。その心に聖霊がおります。ヤコブ記者は「私の兄弟たちよ。何よりもまず、誓わないようにしなさい。天をさしても地をさしても、そのほかの何をさしてもです。ただ、「はい。」を「はい。」、「いいえ。」を「いいえ。」としなさい。それは、あなたがたが、さばきに会わないためです。」(5:12)と、クリスチャンは真実な言葉を語るべきであることを示しています。

羊は羊飼いの声を見分け、自分の羊飼いの声に従うように、クリスチャンは大牧者であるイエス様の声を聞き、イエス様の指示と命令に従って生きる者です。イエス様は聖書のみことばを通して、私たちに語り続けております。語るだけでなく、神のみことばを通して、永遠に生きる天の御国の糧を与えます。みことばの泉から永遠に渇かな生ける水を飲ませてくださいます。

神のみことばならいつも、どこでも「はい」です。神のみことばに反するものならいつも「いいえ」です。妥協の余地はありません。勇気が要ります。聖書のみことばは死んだ人を生き返らせます。間違って歩む人々を正しい道に導きます。私たちが語る言葉が真実な言葉であるとき、霊的に死んだ人々を救いに導きます。私たちの偽りの言葉が、隣人に傷つけることがあります。

真実な言葉は真実な心を持ち、真実な行動をするクリスチャンから出ます。真実な言葉を語る者はいつも幸せです。彼がいる所には不和を平和に変えます。心に平安が生じます、いつも共にし、深い交わりをしたいです。真実な言葉を語る人はキリストの十字架の愛を経験した聖徒です。彼の話を聴くと、いつもイエス様だけを誇ります。救いに感謝します。キリストの十字架の愛を伝えます。

教会の力とリバイバルは、一人一人の教会員が聖書の真実な言葉に応じ、生活の中で真実な言葉を語っているのか、否かによって左右されます。教会で、家庭で、日頃の生活の中で、私たちは聖書のみことばに「はい」と答えていますか。聖書に反することには「いいえ」と拒絶していますか。

【結論】私たち一人一人が偽りの生活ではなく、神の御前で真実な生活を行ない、神様から天の御国の祝福を受けるよう

お祈りしましょう。