椎名町教会

11月1日 メッセージ


『平和をつくる者』

聖書;マタイの福音書5:9    日時;2009.11.1 

 2000年前、イエス様は私たちにこのように言及しています。「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです」(マタイの福音書5:9)。今日、このみことばを通して、あらためて神様の御声を聞き、「平和をつくる者」になりましょう。

T。平和の根源は神様です。

‘平和’は新約では‘エイレネ’と言い、旧約では‘シャロム’と言います。これは‘少しも足りないことのない充満な状態で、和解、祝福、繁栄、安静、心の平和’などを意味します。

 人類の歴史は一言で戦争の歴史だといえるでしょう。紀元前36年から1968年まで世界では14533回の戦争がありました。その中で1945年には70回の戦争と200回の国際的な暴力事態が発生した、という記録があります。数千年間、人々は平和を求め、努力して来ましたが、ますます戦争やテロや紛争などにより、人々が殺され、憎しみと増悪が増えているのですか。それは、聖書や神様から真の平和を探るのではなく、人間の知恵と方法で解決しようとするからです。初め、エデンの園で神様とよい関係を持たれた時の人間の心には真の平和がありました。しかし、神様の命令に背き、罪を犯した人間は、エデンの園で完全に平和を失われ、彼らの心には平和の代わりに、憎しみ、殺意、嫉妬、傲慢、悪口、争い、欺き、悪巧みが芽生え始めました。結局、平和のお方である神様との交わりが断絶され、エデンの園の外に追い出されたのです。その結果、人間が集まる所はいつも葛藤、争い、憎しみが生じ、まことの平和を見る事ができません。ですから、平和の根源である神様に立ち返らない限り、どこにでも真の平和を造り上げることができないでしょう。

U。クリスチャンは平和をつくる者です。

まず、平和をつくるために必要な三つの関係を考察しましょう。神様と平和の関係です。平和の根源は神様です。まことの平和は天の御国の神様から流れます。人間の平和は一時的で、不完全で、利己的です。しなし、神の平和は永久的で、完全で、犠牲的です。自分自身との平和の関係です。コリント人への手紙第U5章17、18節で平和をつくる者について述べています。キリストのうちで新しく生まれ変わる者です。生まれ変わったクリスチャンは、自分が罪人であることを自覚し、悔い改め、神の救いの恵みと喜びに満ち溢れる心から神の平和を味わうことができます。隣人との平和の関係です。人間の本性は、平和より破壊、一致より分裂、愛より憎しみ、謙遜より傲慢を好みます。神様は「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい」(ローマ人への手紙12:18)と、隣人との平和の関係を保つことを命じています。教会は地域を改革するために存在するのではなく、隣人と平和の関係を保ち、救いの福音を伝え、地域に神の平和を造り上げるために存在するのです。

では、誰が平和をつくる者でしょうか。信仰の戦いをする者です。私たちは真の平和を造り上げるために神様からこの世に派遣された天の御国の兵士です。クリスチャンはサタンと信仰の戦い、霊的な戦いの最前線に立っています。キリストの十字架の信仰を持つ者です。イエス様は十字架の上で死なれ、罪とサタンの勢力から勝利を得て、罪に苦しんでいる人々に平和を与えたのです。パウロが「その十字架の血によって平和を造り・・・」(ピリピ人への手紙1:20)と語ったように、罪人のために十字架の上で流されたイエス・キリストの血潮こそまことの平和を造り上げる力です。神のみことばに従う者です。人間の心から出る知識や考えでは真の平和をつくることができません。神のみことばのみ根本的に教会の一致や平和を保ち、地域社会や世界の平和を造り上げることができるでしょう。

V。平和をつくる者への祝福。

イエス様は今日のみことばで、平和をつくる者への祝福を約束しています。「その人は神の子どもと呼ばれるからです」と。私たちが神の子どもと呼ばれ、認められるのは、平和をつくる者であるか、否か、です。私たちはこの世に天の御国の平和をつくるために呼び集められました。椎名町教会は、民族、文化、顔の色、言葉、考え、価値観、育ちが異なる人々が集まっています。にもかかわらず、私たちの教会が平和を保ちながら成長していくのはなぜでしょうか。それは平和の王であるイエス・キリストに結ばれ、互いの働きを尊重し、助け合い、愛し合い、平和を造り上げるからです。

平和をつくる者は、過去に執着せず、現在の生活に安住せず、天の御国への希望と神の平和のためのチャレンジをします。私一人が平和をつくる者として新しく生まれ変わる時、家庭が福音の平和に、社会が神の御国の平和に、教会がまことの平和に造り上げられるでしょう。