椎名町教会

12月6日メッセージ


『殺してはならない』

聖書;マタイの福音書5:21-26    日時;2009.12.6 

【序論】

 宇宙万物には自然法則があります。空の太陽や地球、星などは自然法に従って規則的に動きます。密林の猛獣も空の鳥も海の魚も自然の法則に従って生きる生物です。山の山林や庭の花も自然の法則に逆境して育つことができません。世界各国にはそれぞれの国の法があります。各国の人々は自分たちの国の法に従い、平和と幸せな生活を営みます。また、もう一つの国の法があります。天の御国の市民法です。自然法と社会法はクリスチャンにもノンクリスチャンにも与えられた法ですが、天の御国の市民法はクリスチャンに当てはまる法です。イエス様が山上の説教を通して教える天の御国の市民法は、クリスチャンならだれでも必ず守るべきものです。私たちが今日、注目したいのは、イエス様が21節から48節まで六つの市民法の中で、最初に「殺してはならない」と言及したことです。

【本論】

T。罪の結果は殺人です。

 イエス様は、21節「昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています」と、まず、人間の罪悪性である罪の結果から生じた人間の罪悪性について語っています。創世記4章1節以下を見ますと、アダムとエバが神様の命令を背き、罪を犯し、エデンの園から追い出された後、彼らから生まれたカインは弟アベルを殺しました。罪の結果、人類に現われた最初の事件は、殺人の事件です。というのは、人が集まる所には、国や人種や場所に関係なく、どこにでも、いつでも殺人事件が起こるという事実を明らかにしています。今、TVのニュースや新聞の社会面の記事のほとんどは殺人事件の内容です。私たちは毎日、このような残虐な事件を聞きながら生活しています。

 私たちは、今日、イエス様が山上の説教で、天の御国の市民法について最初に「人を殺してはならない」と命じられた理由を探る必要があります。それは、律法学者やパリサイ人たちの誤った教えから聖書の正しい真理を教えるためです。イエス様は、神様がシナイ山でモーセに与えられた十戒の中で第六戒めの旧約のみことばを取り上げています。出エジプト記20章13節と申命記5章17節では「殺してはならない」と、神様は命じています。しかし、律法学者やパリサイ人たちえは、「殺してはならない」というみことばに「人を殺す者はさばきを受けなければならない」という自分たちの考えを付け加わったのが大きな問題です。すなわち、神様の考えを自分たちの考えに、神の観点を人間の観点に、天の御国の市民法をユダヤ人の市民法に引き下げたことです。彼らにとって殺人法の範囲は行動を起こして人を殺した時のことです。しかし、神様がモーセに語った第六戒めは、行動だけでなく、人の目には見えない心の奥底まで当てはまる範囲です。創世記4章でカインがアベルを殺す時の状況を見ますと、まず、彼の心に怒りと憤りがあったことがわかります。神様はカインの心にある殺意を指摘しましたが、彼は、神の警告に耳を傾けず、行動を起こし、結局、弟アベルを殺し、人類最初の殺人者として聖書に名が記される人物となったのです。

 律法学者やパリサイ人たちの大きな過ちは神のみことばを歪曲して、ユダヤ民に教えたことです。イエス様は、彼らが間違って教える旧約聖書のみことばを正しく教えています。「殺してはならない」これこそ神様が命じた律法の戒めです。

 教会は聖なるところです。神の御国の民が聖なる神に礼拝を捧げる群れの集いです。イエス・キリストのからだが教会です。この世から分離され、神様から選ばれた群が教会です。しかし、教会に集まって礼拝を捧げる人間はアダムの子孫であり、罪深い人間であるということを自覚しなければなりません。というのは、罪の結果、腐敗した人間は、いつも、どこにでも人を殺す罪悪性をもっている、というイエス様の警告に耳を傾けなければなりません。「殺してはならない」この戒めは、この世の法律に当てはまる行動の殺人だけではなく、天の御国の市民法に当てはまる心の殺人への警告であり、命令です。

U。殺人の思いは心から生じます。

 ユダヤ人の宗教指導者たちの教えと違ったイエス様の教えに皆が驚いたに違いありません。私たちは22節でイエス様が、殺人の思いは心から生じる、という教えに注目しなければなりません。これは行動を起こす前の人間の心奥底に潜在している罪悪の種です。罪の結果で現われる悪の実です。イエス様はここで三つの殺人の内容を述べています。「兄弟に向かって腹立てる者」、「兄弟に向かって『能なし』というような者」、「『ばか者』というような者」は神の御前で殺人者であり、裁きを受け、ゲヘナに投げ込まれる、と指摘しています。

 「兄弟に向かって腹立てる者」の特徴は、まず、怒りが生じます。それが増し加わって憎しみが生じます。そして、心の奥底からあの人は許せない。早く死んでほしいと思います。これが行動に移さない限り、社会法では殺人者となりません。しかし、イエス様はもうこの段階で、この人は、天の御国の市民法では、殺人者になる、と言及しています。また、「能なし」や「ばか者」というのは「あほう」「畜生」「このばかやろう!」など相手の人格や名誉への冒涜のことばであって、このように語る者は殺人者として取り扱っています。

私たちはなぜ、腹を立てたり、怒ったり、他人の心に傷をつく言葉を言いますか。自分との考えや価値観や生き方が異なるからです。自分に損害を与える人には腹が立てます。大体、子どもが親の言うことを聞かない時、親は腹を立てて、怒ります。また、他人が今までの自分の生活のパタンに侵害して来る時、怒りが生じます。行動を通して外には現われていませんが、兄弟に対して怒ったり、愚かだと言ったり、ばか者だというのは、その人の心には殺人の種が隠れているということです。

イエス様は言われました「口にはいる物はみな、腹にはいり、かわやに捨てられることを知らないのですか。しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです」と(マタイの福音書15:17-19)。ヤコブ記者も「舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲへナの火によって焼かれます。」(ヤコブの手紙3:6)と、語っています。

 私たちは毎日、何十回、何百回も天の御国の市民法に当てはまる、人格殺人、名誉殺人、口で殺人、心で殺人をしているのではないでしょうか。神様は罪に対しては怒り、憎み、呪っていましたが、神の形に造られた人に対しては、怒ったり、憎んだり、呪ったのではありません。

 では、聖書で神様とイエス様はどんな時に怒ったでしょうか。「というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです」(ローマ人への手紙1:18)。聖なる神の御名を乱れた時です。イエス様は「それから、イエスは宮にはいって、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された」(マタイの福音書21:12)、神の神殿を汚した時です。

 神様とイエス様の怒りは敬虔な怒りです。義なる怒りです。十字架の愛と神の御国の義によって、神の栄光のための怒りです。しかし、不義の怒りは自己満足や高慢から生じる怒りです。神のみことばを拒んだり、神の名を乱れたり、教会を破壊する者に対しては、厳しく怒り、裁き、仰に正しく立って生きるよう導かなければなりません。しかし、その罪は裁いても、兄弟は憎まず、愛するのが、イエス様の八つの品性を持って生きるクリスチャンの生活です。

V。心の怒りを治める方法は兄弟との仲直りです。

 イエス様は23節以下で、神の御前で礼拝を捧げる前に、まず、兄弟たちと仲直りして、礼拝に参加するよう命じています。サムエル記第T15章22節で神様は「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさる」と、礼拝より優先にするべきことは、神のみことばに聴き従うことだと述べています。というのは、兄弟に向かって腹を立てたり、怒ったり、ばか者だというのがあるなら、神の御前に徹底的に悔い改めて、心奥底にある殺人の種を全部切り捨ててから、礼拝を捧げないと、その礼拝は神様が受け取ってくれないという真理です。

 相手に対する赦しは、相手が自分に来て過ちの赦しを求め、その人を赦してあげることです。相手が主体です。しかし、仲直りは、私が相手に行って、赦しを求めることです。私が主体です。現代の病気の原因は怒りやステレスから生じます。

 怒りを治まるためには、まず、怒りを遅くします。「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。」(箴言16:32)アメリカのロクペラの会社が役員たちのミスによって200万ドルの損を受けました。皆が恐れましたが、ベドポドはロクペラに行って理由を話しました。ロクペラは何か紙に書き終え、彼に、事情を全部聞きました。彼が書いた紙には役員一人一人の今までの功績や会社に利益を与えたのが書いてあったのです。あなたたちが今まで会社のために働き、利益を与えてくれたのは、今度の損よりもっと大きいです、と言いました。

次に、怒りの火をすぐ消すことです。「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい」(エペソ4:26、27)。イエス様は、今日の本文25節で「あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くしなさい」と命じています。心にずっと置いておくと、ストレスとなり、癌にかかる原因となる恐れがあります。

三番目に、真実に話し、切り捨てます。「しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。」(コロサイ3:8)誰に話すべきでしょうか。神様です。祈りを通して神様に言い語り、心にある怒りを全部切り捨てます。その時、まことの平和が与えられます。

最後に、相手のために祝福の祈りをします。怒りが治まります。自分の腹を立たせる人が正しい信仰に立って、神様に祝福を受けるよう切に祈ります。その時、聖霊様が彼の相手の心を支配し、二人とも仲良くなるよう助けてくださるのです。

【結論】

「兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです」(第Tヨハネ3:15)。今、皆さんは憎む者がいますか。赦せない人がいますか。その人を見るたびに怒りが生じる人がいますか。イエス・キリストが与える八つの品性と十字架の愛をもって、相手を赦し、仲直りしましょう。神様がその人の礼拝を受け取り、彼の心には真の平和が訪れるでしょう。

お祈りしましょう。