椎名町教会

12月13日メッセージ


『イエス様の降誕を迎える準備』

聖書;ルカの福音書1:26-38    日時;2009.12.13 

【序論】

 毎年12月になりますと教会ではイエス様の降誕を迎える準備で忙しいです。椎名町教会でも毎年教会の外にイルミネーションを飾ったり、教会学校クリスマス会の練習やクリスマス礼拝、祝会、キャンドル礼拝、キャロリングのための準備をします。今日、2時からはイエス様の降誕を祝い、約2ヶ月間準備して来た教会学校子どもたちや先生たちのクリスマス発表があります。一人も帰らず、みなが参加して、地域の子どもや大人たちと共に、教会学校のクリスマス会を見て、励まし、楽しい時間を過ごしましょう。

 特に、今日は特別なキャストとして、二人の女性ギターリストが出演します。また、子どもたちに楽しい英語のプログラムも用意されています。とても楽しい時間が期待されています。

 来週の主日の礼拝はイエス様の降誕を祝い、クリスマス礼拝を捧げます。聖書に基づいて、イエス様の降誕を迎える準備をし、一人一人が喜びに満ち溢れるクリスマス礼拝を迎えましょう。

【本論】

T。イエス様の降誕を準備する神様

 神様の働きはいつも準備から始まります。神様は、聖書や聖霊、御使いたちや預言者たちを通して、ご自分の計画と救いの働きを示し、示された通りに全部成就させるお方です。実際2000年前イエス様はユダヤの地でお生まれました。イエス様がお生まれる400年間、ユダヤ民は暗黒の時代の中で生活していたのです。神様が預言者を送らず、みことばを語っておられなかったのです。神様の沈黙が続いたように見えました。しかし、神様は聖書と預言者たちを通して、イエス様の降誕を知らせ、着々と準備しておりました。

 イエス様を通した人類の救いは、創造の前からの神様の計画です。パウロはエペソ教会の聖徒たちに「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」(エペソ人への手紙1:4)と書き送り、神様は永遠の前から、罪人を救うために救い主イエスキリストをこの世に送り、救いの働きをなさることを明らかにしています。

 創世記3章15節で、アダムとエバが罪を犯し、神様と永遠のいのちの関係が断絶され、エデンの園から追い出される時、神様は彼らに一つの希望を与えました。御子イエス・キリストをこの世に送る、という約束です。神様は人間の思いや行いに関係なく、ご自分の思い通りにイエス様の降誕を準備しておられたのです。また、旧約の人物と出来事はイエス様の受肉と十字架の死と復活の予告する模型として受け取ることができます。モーセの生まれる出来事とパロ王の迫害は、イエス様のお生まれとヘロデ王の迫害を関連して読取ることができます。

 神様はイエス様がお生まれる約700年前、イザヤ預言者を通して、イエス様の降誕を預言しています。「それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる」(イザヤ書7:14)と。このように、神様はイエス様の降誕についてご自分が直接語ったり、預言者たちを通して預言したり、様々な出来事を通して知らせております。37節のみことばのように「神にとって不可能なことは一つもありません」と、神様は全能なお方です。イエス・キリストの降誕は私たちの霊魂の救いのはじまりです。

 今、イエス様の降誕を迎える心の準備が整えている聖徒は、神様がイエス様の降誕のために永遠の前からどれほど徹底的に準備されたのかを悟らなければなりません。神様はみことばを通して、イエス様の降誕を語っております。神のみことばに耳を傾ける聖徒は、神の御声を聞き取れます。2009年度イエス様の降誕を準備する神様の働きは、私たちを通して、この地域に霊魂の救いをはじまりです。

U。イエス様の降誕が準備されたナザレ町

 神様は26節で、ガリラヤのナザレという小さな町に住んでいる処女マリヤに、御使いガブリエルを遣わし、彼女を通してイエス様がお生まれることを知らせました。旧約時代には、このナザレと言う町は聖書に知られなかったのです。ナザレは山に囲まれた町です。マリヤと彼女の婚約者ヨセフはこのナザレ町で住んでいたのです。ユダヤ人たちにあまりにも名が知られてない田舎の町ナザレにイエス様の降誕の知らせが訪れています。

 イエス様の降誕を備え、神様の関心がガリラヤのナザレにあった理由は何でしょうか。

 その当時、ローマは世界を支配している強大国でした。その名が全世界に知られていた国です。ローマの中心地には、ローマ皇帝の宮殿があります。世界を支配するローマ皇帝がいます。世界の権力と富と名誉の中心地です。出世のためにはローマに行かなければなりません。ローマを通して起きた出来事はすぐ全世界に宣べ伝えられます。しかし、人間が王として支配するローマにイエス様の降誕の知らせはありませんでした。

 また、エルサレムはユダヤ教の中心地です。エルサレム神殿を中心にイスラエルの各教派の活動が行なわれています。祭司長やレビ人たちが礼拝を捧げています。過ぎ越しの祭りの時は、全世界に散らされているユダヤ人たちやイスラエルの全国から人々がエルサレムの神殿に集まってきます。律法と伝統を重んじている所です。宗教家たちが集まっている所です。エルサレム神殿では、祭司長たちが毎日、習慣的に礼拝を捧げます。しかし、神の神殿があるエルサレムにイエス様のお生まれの知らせはありせんでした。教派や伝統を誇る所、習慣的に礼拝を捧げる所には、イエス様の降誕の知らせがありません。

 山の中にある田舎の町に初めてイエス様のお生まれの知らせが伝わりました。世界の権力の中心地でもなく、宗教の中心地でもないナザレ、ローマ権力家たちもユダヤ宗教指導者たちも誰も関心を持ってなかったナザレ町に神様には真の愛と関心の対象となったのです。ナザレ町にはまことの信仰者、マリヤとヨセフがいたからです。信仰は血縁や地縁など伝統など人間的な関係で生じるのではありません。

 まことの信仰者がいる家庭、教会、地域に神様は愛し、関心を持ち、彼らを用いて救いの働きを行います。この地域が神様の関心をもたらすためには、椎名町教会で礼拝を捧げている私たちがどれほど真の信仰者であるかによって、この地域のリバイバルの生死がかかっています。

V。イエス様の降誕を迎えるおとめマリヤ

田舎の町ナザレに住んでいるマリヤはヨセフと婚約し、結婚を目の前にしています。これから愛する婚約者ヨセフと結婚し、子どもを産んで、幸せな家庭を築き上げる夢に胸が膨らんでいたでしょう。ローマには家門が良い女性がたくさんいました。エルサレムには名が知られている祭司長やユダヤ教の指導者たちの娘たちも大勢いました。しかし、神様が田舎の町ナザレの処女マリヤの体を借りて、聖霊によって身篭るイエス様の降誕の計画を立てられた理由は何でしょうか。

まず、マリヤは神の恵みを受ける準備がされていました。28節「御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。『おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます』」、30節「マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです」と、御使いガブリエルが伝えています。マリヤは神様の恵みを受ける信仰者でした。彼女の心の畑は、道ばたや岩地やいばらではなく、良い地の畑でした。ユダヤの地で、世界でイエス様が生まれる心の準備がされたたった一人の女性でした。来週のイエス様の降誕を祝うクリスマス礼拝です。神の御声が聞えますか。「おめでとう、恵まれた方。」イエス様の降誕の喜びの知らせを受ける良い心の畑を準備しましょう。「・・・兄、姉。あなたは神から恵みを受けたのです」と、神様から恵みを受ける信仰者になりませんか。

 次に、マリヤは殉教の信仰を持っていました。その当時、結婚の前に、婚約者以外の者から子どもを生むと殺されたのです。徹底的に純潔を守らなければなりません。31節で御使いガブリエルはおとめマリヤに「あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい」と、語ったのです。このお知らせは、あなたは家族から押し出され、婚約者ヨセフから離婚され、町の人々から石投げで殺される、という避けられない事実です。

しかし、神様はマリヤの真の信仰を見たのです。イエス様のためなら、自分の命さえも惜しまずささげるマリヤの信仰を認めたのです。38節を読みましょう。「マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。」マリヤが神様から恵みを受ける理由です。彼女は殺されるのも覚悟して、神のみことばに従ったのです。イエス様のためなら自分の命も、結婚の幸せも、家族や親戚の絆も、町の人々の友情も、自分にあるすべてを捧げる殉教者の信仰をマリヤは持っていました。

 みなさんはイエス様の降誕を迎える準備がされていますか。たくさんのクリスチャンが教会を仲良しクラブように思い、あの人が、あの牧師が好きだから教会に行きます、と言い、人間中心の信仰生活をします。ある人は、教団教派が好きだから教会に行きます、として、教派中心に信仰生活します。彼らと、そのような教会は神様からの恵みが与えられず、イエス様の降誕を迎える準備がされていません。

「どうぞ、あなたのおことばどおり」の信仰者や教会がイエス様の降誕を迎える準備ができ、神様の溢れるばかりの恵みが与えられます。「どうぞ、あなたのおことばどおり」、神のみことばに従って生きる信仰者こそ殉教者の信仰で生きる聖徒です。

【結論】

イエス様の降誕を迎えて、皆さんは神様の恵みを受ける信仰の準備がされていますか。個人、家庭、教会がイエス様の降誕の喜びの恵みを頂き、地域の人々に降誕の喜びを伝えましょう。

お祈りしましょう。