椎名町教会

12月27日メッセージ


『忠実な管理者』 

聖書;コリント人への手紙第T4:1-5    日時;2009.12.27 

【序論】

ジミ・カトは貧しいピーナツ農場の息子として生まれ、海軍に入って軍人の生活を終え、ゾジア洲の知事から1977年1月アメリカの39代大統領に就任しました。たくさんの国際的な問題に直面し、多忙な業務の中でも主の日は、母教会にいって、教会学校の子どもたちを教えるCS教師の働きを忠実に行いました。実際4年間の大統領の任期の間は、他の大統領に比べて、大きな業績を残す事ができませんでした。みなから無能力な大統領だと言われるほどです。任期を終え、故郷に帰った彼は国民から忘れるようになりましたが、改めて注目を得るようになりました。‘ヘビタト運動’に参加したからです。‘ヘビタト運動’は居住地がない人に家を建ててあげる運動です。ジミ・カトも自ら作業服を着て、工具を手に持って屋根の上に上って、釘をさし、壁にペイントを塗り、家を建てる働きをしました。2001年には韓国を訪問し、全国6地域を回って、ボランティア9000人と共に174世代の家を建てて上げたのです。‘Jimmy Cartor Work Project、ジミ・カトの家を建て上げる運動計画’を立ち上げ、全世界を飛び回り、住まいがない人々に家を作って上げる働きをしています。

 彼の働きについて質問する記者に、ジミ・カト‘神が私を大統領にさせたのは、大統領の働きをうまくさせるためではなく、大統領の任期が終わった後、神様がさせる働きがあったから私を大統領にさせました’と告白したのです。彼はアメリカの大統領ではなく、世界の平和の大統領として、貧しい人々のために家を作ってあげる神の忠実な働き人として、神の栄光を現しています。

 パウロはコリント教会のクリスチャンたちに、本文2節で「管理者には、忠実であることが要求されます」と指摘していることに注目しましょう。

【本論】忠実な管理者はどんな者でしょうか。

T。キリストのしもべです。

 コリント教会はパウロが第二次宣教の時、開拓した教会です。使徒の働き18章1節以下で、教会を建て上げ、コリントから離れたパウロにコリント教会の状況が報告されました。それは、教会の分裂という悲しい報告です。その原因は、外からの迫害ではなく、教会の中の党派心から生じた問題であったわけです。1章10節以下を見ます、教会に紛争が起こったのです。『私はパウロにつく。』『私はアポロに。』『私はケパに。』『私はキリストにつく。』と言っているということです。」

 コリント教会の内部の問題は、パウロのように教理を中心にする。アポロのように素晴らしい説教が大切だ。ペテロのように何でも積極的にしなければならない。キリストのようにすべてを霊的に考えなければならない。という人間の価値観を中心に判断し、互いに批判をしていたのです。パウロは、このような分裂に対する彼らに、真の聖徒たちの働きは何であるか、を教えるために書き送ったのが本章(4章)です。この手紙は今日、伝統と教派と人間中心に形成する教会へ送る神様からのメッセージであり、警告であることに耳を傾け、心に刻まなければなりません。

 1節前半で、パウロ自身は「キリストのしもべ」として自分の身分を明確にしています。‘しもべ’と言う意味は‘船の一番下で櫓(ろ)を漕ぐ(こぐ)奴隷です’皆さんは‘クォバディス’という映画で主人公がローマの奴隷に売られて、敵と戦う船でする櫓(ろ)を漕いでいる姿を見たことがあるでしょう。彼らは、船長の命令に絶対的に従うべき者です。船長から指示されたことに一言も反論や拒否する権利がありません。‘奴隷’は主人の命令に生き死ぬ者です。自分の権利は何もありません。自分を買ってくれた主人のためにとんな酷い働きでもしなければなりません。ギリシャ人にとって‘しもべ’すなわち‘人に仕える’というのは最悪の屈辱です。しかし、パウロは、コリント教会の聖徒たちが指導者人間を教会の頭とする偶像崇拝から目覚めさせ、正しい信仰者として生きるために、自分は「キリストのしもべ」だと述べています。パウロが、しもべと言う身分より、自分が誰に属しているのか、自分を買ってくれた主人は誰なのか、自分は誰のために生きているのか、を明らかにするためです。 

聖徒はイエス・キリストが十字架の上でご自分のいのちを払って買い取られた者です。以前はサタンが私たちの主人でしたが、今はイエス様が私たちの主人です。私たちは椎名町教会のという船に乗って天の御国に向って航海しています。船長はイエス様です。この世の海で航海するためには嵐のような試練や苦難や問題があります。一人一人の個性により、意見や価値観の違いもあります。椎名町教会皆さんが天の御国まで無事辿り着くためには、自分の自我や価値観を捨てて、イエス様の御声を聞かなければなりません。人間にしがみ付くのではなく、イエス様について行かなければなりません。イエス様が私の主人であり、私はキリストのしめべです、と告白し、イエス様の命令に絶対的に従う時、家庭と教会と社会に神の御国の一致と平和を築き上げることができます。

U。神の奥義の管理者です。

 パウロは1節後半で、自分は「神の奥義の管理者」だと言及しています。ギリシャ語で‘オイコノモス’と言い‘イエスを管理する。経営する’という意味です。管理者は主人のすべての財産を管理し、業務を行なう者です。執事と言います。聖徒はパウロのように「神の奥義を管理する者」です。‘奥義’というのは「世にわたって長い間隠された」(ローマ人への手紙16:25、26)ことです。イエス様がマタイの福音書13章で四つの畑の喩えを語った時、「弟子たちが近寄って来て、イエスに「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか」(10節)と質問されました。11節で「イエスは答えて言われた。『あなたがたには天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません』」と。

 パウロは、第1コリント2章7、8節で「神が世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。しかし、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした」と、語っています。この神の奥義は、人類への救いの御業です。神の奥義は、無知であるこの世の人々には隠されたミステリでありますが、パウロがエペソ教会の聖徒たちに送った手紙では「みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって・・・」(エペソ人への手紙1:9以下)という内容から、イエス・キリストの内で神の奥義が成就され、イエスを信じる聖徒に明らかにされたことがわかります。

 1968年スイスの時計は世界市場80%を独占しました。しかし、12年後、1980年には世界市場10%しか独占することができませんでした。その理由は、ある会社が電子時計を開発しましたが、スイス人たちは自分たちの価値観や考えで、電子時計は人々から無視され、除外されると判断したのです。その時、1968年に世界の市場1%に過ぎなかった日本のセイコ会社がスイスの電子時計のアイデアを購入し、電子時計を作って売り始めることによって、全世界の30%を超える市場を確保したのです。スイス人は目の前のことだけ悟り、見ましたが、日本のセイコ会社の社長は、未来を見て、大胆に変化と転換を実施したのです。

 「神の奥義」は教会を通して行なう神様の救いの働きです。人類の救いのために、2000年前にイエス様が天の御国からこの世に来られ、神のしもべとして「仕える者」の生き方の模範を見せてくださいました。人類のすべての罪を背負って十字架の上で死なれ、三日目に死人の内より甦られ、今も天の御国の神の右の座で、私たちのために執り成しの祈りをしてくださり、聖霊様を送って、椎名町教会を用いてこの地域の救いの働きをされております。救いの働きの拠点として礼拝堂が必要です。礼拝堂で礼拝を捧げ、聖餐式が行われ、交わりや伝道と宣教の働きを行ないます。

 より多くの人々、赤ん坊を連れて来る若い夫婦や年寄り、障害者たちも何の不便がなしに、教会に来て礼拝をささげる礼拝堂として作ってあげて置かなければなりません。(田中さんの孫と二人の曾孫;母子室がなくて帰った、土屋さん;トイレが階段の下にある、車椅子にのる障害者が入れない)これから椎名町教会は健康な人だけではなく、このような人たちにもいつでも教会に来る事ができるように配慮をして、礼拝堂を作るビジョンを持たなければなりません。

 今年1年間、私たちは信仰と心を一致して「神の奥義の管理者」として、救いの働きをして来ました。チラシ配り、路傍伝道、バスの広告、アメリカ宣教チームとの協力で行なった英語であそぼう、バザー子ども祭り、クリスマス行事、アワナ、キッズブラウン英語のスタフも来て協力してくださいました。来年はキッズブラウン英語、アワナなどの子どもプログラムを通してこの地域の子どもたちや父母たちに福音を伝えて行きます。皆が「神の奥義の管理者」として、共に協力、祈り、管理して行きましょう。

V。管理者に要求されるのは忠実です。

しもべと管理者は、主人から任された働きを忠実に行なう者です。主人がしもべや管理者に求めるのは、どれほどたくさんの結果を残したのではなく、どう働いたか、という過程です。すなわち、主人が頼んだことを忠実に働いたか、そのまま従ったのか、を見ます。管理者は自分が経営するのではなく、主人の財産や家族を管理する者です。パウロは本文2節で「管理者には、忠実であることが要求されます」と命じています。マタイの福音書25章で、イエス様は、5タラント、2タラント預かった者がもうけたことから「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたはわずかな物に忠実だったから」とほめました。しかし、主人の金を隠して何もしてない1タラント預かった者には「悪いなまけ者のしもべた」と叱責し、裁いています。

 神様は私たちに神の御国の管理者として、家庭で教会で社会で忠実を要求されております。神様から選ばれた管理者には従順と忠実が求められています。力が無くても、経済的に苦しくても、知恵が足りなくても、真実な信仰を持って、忠実に従う時、神様が力と知恵を与え、経済的にも責任を持って満たしてくださいます。

 では、忠実な管理者はどんな姿勢で神の働きをするべきでしょうか。

まず、自発的な忠実です。神の救いの働きを預かった聖徒は何よりも神様に対する熱い愛がなければなりません。神様を愛する人は自発的に神の働きに忠実にします。不平も無く、嫌々もなく、喜んで働きます。

次に、小さなことに忠実にします。ヨセフはエジプトに売られて行きましたが、神の御前で小さなことに忠実したとき、エジプトの国務総理になりました。ダビデは子どもの時から羊飼いの働きや軍人の働きを忠実した時、神様がイスラエルの王として高く立て上げました。周りの人々がわかってくれなくても、神様がすべてを知っておられます。神様は小さなことに忠実な聖徒の心を受け取ります。

最後に、変わらない忠実です。忠実な管理者は良い時も悪い時も、幸せな時も不幸な時も、嬉しい時も悲しい時も、どんな状況に置かれても変わらず、主人のために忠実に働き者です。子どもの事や家事の事や個人の事で、いろんな言い訳をつけて神の救いの働きに怠って(おこたって)いるのではないでしょうか。今、神様が私たちに要求するのは、私たちの人生の最優先の順位に、神の奥義の管理者として、忠実を要求していることを悟らなければなりません。

【結論】

私たちは神のしもべとして、神のみことばに徹底的に従うべきです。神の奥義の管理者として、霊魂の救いに最善を尽くすべきです。忠実な管理者として神様を愛し、始発的に、小さなことに、変わらない心で忠実は管理者になりましょう。