椎名町教会

11月8日 メッセージ


『義のために迫害されている者』

聖書;マタイの福音書5:10-12    日時;2009.11.8 

【序論】

 今、私たちはイエス様が教える山上の説教の八つの幸いの中で、最絶頂のところに辿り着きました。イエス様は「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」(マタイの福音書5:10)と語り、3節の「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」と、最初と最後のクリスチャンの幸いは「天の御国」であることを明らかにしています。

T。クリスチャンは義のために迫害されている者

「義のために迫害されている」というのは、11節の「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり・・・」、ルカの福音書6章22節「人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。」というみことばから関連して考えますと、イエス様はご自分のために迫害を受けている者は幸いである、と語っています。「迫害されている」ということは「苦痛と略奪を受ける」という意味です。また、「狩人に追い込まれている動物や戦場で敵に追撃されている敗戦兵士」を表わします。すなわち、イエス様は、まことのクリスチャンには迫害が必然的に追い着いてくる、と強調しているのです。イエス様は言われました。「わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。」(ヨハネの福音書17:14)と。この世は神様がいない人々の群れです。サタンが支配する闇の世界です。彼らはイエス・キリストを信じるクリスチャンを憎み、迫害します。神の御国とこの世とは必ず衝突が生じます。聖徒が迫害を受けるのは、彼がこの世に属していない、という証明です。まことのクリスチャンであることを神様から認められている証なのです。

U。クリスチャンが迫害されている理由とは。

キリスト教の歴史は迫害と血の歴史です。イエス様はご自分の民から迫害を受け、十字架の上で死なれました。使徒の働き7章で、初代教会の執事であったステパノが、同じ民族であったユダヤ人たちから石で撃ち殺され、殉教しました。イエスの12弟子たちも迫害を受け、みなが殉教しました。しかし、彼らは絶望の中で死を迎えたわけではありません。彼らは、この世での迫害が天の御国で大きな報いになることを知っていました。

では、彼らはなぜ、迫害に立ち向かい、自ら殉教の道を喜んで選んだでしょうか。信仰の貞操を守るためです。イエス・キリストのためです。「わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」(マタイの福音書10:22)と言われたイエス様は、私たちのために迫害を取り除いてくださるのではなく、当たり前のように迫害されるのを見守っておられます。それは天の御国を与えるためです。イエス・キリストのために迫害されている者には天の御国が約束されています。これこそ、私たちの喜びであり、希望であり、慰めです。

V。義のために迫害されている者の幸いとは。

第一に、天の御国は彼らのものです。(10節後半)

パウロは使徒の働き14章22節で「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と語っています。このように天の御国に入るためには、たくさんの苦しみと迫害を通過しなければなりません。イエス様は「・・・自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マタイの福音書16:22)と命じています。みなさんは義のために受けるべき試練と迫害に立ち向い、殉教者の信仰をもって、大胆に信仰の歩みを続けていますか。

第二に、天において報いが大きいのです。(12節)

「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。」(ローマ人への手紙8:18)と、神様はこの地上での苦しみや迫害は私たちが神の御前に行った時、必ず、栄光の冠として報いてくださると約束されています。私たちは、神様から頂く大きな報いと栄光の冠があるからこそ、今、迫害を耐え忍ぶことができるのです。

最後に、預言者たちと並んで立つ栄光が保障されています。(12節後半)

まことの信仰者が迫害されているのに喜びおどることができるのはなぜでしょうか。彼は、預言者たちと並んで立つ栄光が保障されているからです。今、皆さんと私が受ける迫害は、預言者たちが受けたものと同じです。まことの預言者たちは真理を守ることによって、人々には迫害を受けましたが、神様からは称賛を受けました。モーセ、エリヤ、イザヤ、ハバクク、アモスは自分たちの民に無視され、迫害されても、自分の命さえも惜しまず、神のみことばを大胆に宣べ伝えたのです。彼らは天の御国の所有への希望を抱いて生きたのです。

聖書で神様は、真の信仰者に「義のために迫害されている者」としてイエス様のために受けるべき迫害を喜びながら、天の御国に辿り着くまで、信仰の歩みを続けるよう励ましています。