椎名町教会

11月22日 メッセージ


『世界の光』

聖書;マタイの福音書5:14-16    日時;2009.11.22 

 先週に続いてイエス様は14節から16節で「あなたがたは、世界の光です」と、語っています。「地の塩」が隠密的、内面的、消極的で外に現れない行ないでしたら、「世界の光」は活動的、外面的、積極的に外に現れる行動です。イエス様は丘に集まっている弟子たちや人々に「世界の光」として使命を与えています。イエス様が命じられた「世界の光」の深い意味を探り、聖徒の任務を果たしましょう。

T。イエス・キリストはまことの光です。 

なぜ、イエス様は弟子たちに「あなたがたは、世界の光です」と、語ったのでしょうか。それは、イエス・キリストご自身がまことの光だからです。イエス様は光の源です。光にはいのちを生み出すエネルギがあります。イエス様は永遠のいのちの源です。ヨハネ記者は「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」(ヨハネの福音書1:4)と、キリストがまことの光としてこの世に来られたのを明らかにしています。イエスご自身も「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書8:12)と言われました。イエス様は十字架の愛の光を照らし、罪悪の中で苦しんでいる人々に、罪の贖いを与えました。復活のいのちの光を照らし、暗闇の中で方向を失い、迷っている人々に救いの喜びと希望を与えました。

その当時、律法を教えるパリサイ人やラッピたちは「ユダヤ人たちの光」として尊敬を受けましたが、傲慢な彼らは異邦人に対して偏見を持ち、信仰ではなく、行ないによって救われるという聖書とは反するものを教えました。しかし、イエス様は弟子たちに「あなたがたは、世界の光です」と語っています。それは、イエスを信じる弟子たちのうちにはイエス様のいのちがあり、イエス様のいのちには罪人を救う救いの光があります。詩篇記者が「主は、私の光、私の救い」(詩篇27:1)と、告白し、御名を賛美したのも、彼のうちにキリストの光で満ちていたからです。

イエス様は罪悪に満ちている世界に救いの光と永遠のいのちの光を照らす唯一のお方です。イエス・キリストに結ばれ、キリストのいのちを持っている私たちは世界にキリストの光を照らす者として呼び集まれたのを忘れてはいけません。 

U。聖徒はイエス・キリストの光の反射体です。

イエス様は14節で「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れることができません」と語っております。山の上にある町が隠れる事ができないように、聖徒はこの世で隠れるのではなく、町の人々に露出される者です。自分がクリスチャンであることを皆に堂々と言えず、イエス・キリストが救い主であることを宣べ伝えないクリスチャンや日頃の生活の中でクリスチャンとして相応しく生きていない聖徒は、まことの神の民とは言えないでしょう。

 イエス様が弟子たちや私たちに「あなたがたは、世界の光です」と語ったのは、夜空の月が太陽の光を反射し、暗闇の地球に光を照らすように、聖徒はこの暗闇の世界にイエス・キリストの光を反射する者であることを明らかにしています。聖徒はイエス・キリストの愛といのちの光をこの世に反射する鏡やオパールです。また、イエス様は15節で「聖徒はあかりをつけて燭台の上に置いて、家にいる人々全部を照らす灯火です」と、語っています。聖徒はこの世の人々にも、家族にも、キリストの光を反射する光であり、灯火です。

では、光の働きは何でしょうか。光は暗闇の中にいる人々に道案内をします。罪悪の中で肉の生活をしている人々に、永遠のいのちを頂くよう、救いの道に導くのがクリスチャンの使命です。光には熱があります。熱はエネルギの原動力です。熱にはパーワがあります。この世の罪を打ち砕き、人々に生きる喜びと力を与えるのが、キリストの愛の熱を持っている聖徒の働きです。光は殺菌性があります。光はバイキングを殺す効果を出します。イエス様は私たちに「あなたがたは、世界の光です」と語り続けています。罪悪の暗闇の中で生きている人々に、山の上の町で照らす福音の光となって、救いに導くのは誰ですか。真っ暗の部屋にいる家族に灯火の愛の光となって、キリストの愛を伝えるのは誰ですか。皆さんと私です。

V。聖徒の良い行ないは神の栄光を現わします。

 聖徒の究極的な目的は、神の栄光を現わし、神を喜ぶことです。パリサイ人たちやサドカイ人たち、律法学者たちは自分たちの善行によって、人々に栄光と称賛を全部受け取りました。イエス様は彼らに「偽善者たちだ」と叱責しています。 

本文16節でイエス様は「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」と命じています。私たちが反射するキリストの光は、日頃の良い行ないです。この世の人々は、私たちの良い行ないを見て「本当に創造主なる神様がおられるんだ」と言えるでしょう。私たちの言動を見て「聖書のみことばは本当の真理だ」と悟るでしょう。私たちの生活の態度を見て「キリストが救い主だ」と信じるでしょう。私たちがクリスチャンとして生きる時「私たちが反射する光がイエス・キリストの光である」と知るでしょう。私たちが献身的な犠牲と無条件的な愛を現わす時「キリストの十字架の死と復活の出来事は事実だ」と告白するでしょう。謙遜に良い行いをする時「クリスチャンの内でイエス・キリストが良い行いをなさっている」と感じるでしょう。その結果、私たちは自分が栄光を受け取るのではなく、すべての栄光を神様に返す事ができます。

 ヨセフはエジプトに置いてキリストの光を掲げる者でした。偶像の国エジプトのただ中で、信仰の貞操と純潔を守り、民を愛する慈愛と父と兄弟を思う愛は、パロ王に神の栄光を現わしました。ダニエルは異国のバビロンで獅子の穴に入れられても、信仰の純潔を守り、ネブカデネザル王やバビロンの人々に神の栄光を現わしました。神様はヨセフとダニエルを国務総理として地位を高くしてくれました。

 パリサイ人たちのように、自分が栄光を受け取る者は、この世で報いと称賛を受けますが、神様には見捨てられました。しかし、自分の良い行いを神様に返し、神の栄光を現わす聖徒は、神様が燭台の上に灯りを置くように、彼の地位と名をこの地上だけでなく、天の御国でも高く上げてくださいます。イエス様が教える八つの品性をもって、世界の光となって、神の栄光を現わす聖徒になりましょう。

「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。・・・」(イザヤ書60:1以下)という聖書のみことばを読んで感銘を受けたトマス・ハスティングスは賛美歌216番の歌詞を書き残しました。私たちはキリストの光を反射する「世界の光」です。私たちの良い行いを通して、イエス・キリストの十字架の愛の光と復活のいのちの光を照らし、神の栄光を現わすまことの聖徒の使命を果たしましょう。